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成田空港『空と大地の歴史館』で成田三里塚の歴史を顧みる【入場無料】

空と大地の歴史館に展示されているヘルメット
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編集長より子
編集長より子
『お金節約.com』編集長「より子」です。

『空の日フェスティバル2018』に合わせて、航空科学博物館すぐ隣にある『空と大地の歴史館』にも行ってきました!

『空と大地の歴史館』は、成田三里塚地域の歴史を伝える資料館で、空港反対運動の一連の流れを展示していることが大きな特徴になっています。

現在は多くの人々に利用されている成田空港も、建設をめぐっては多くの議論があったんですよね…。

『空と大地の歴史館』で、これまでの歴史を顧みることは、未来のためにも重要なはず。

『空と大地の歴史館』の訪問体験記レポートです!

『空と大地の歴史館』は成田空港が運営する資料館

正式名称 成田空港 空と大地の歴史館
住所 〒289-1608 千葉県山武郡芝山町岩山113-2(航空科学博物館敷地内)
入館料 無料
開館時間 午前10:00~午後5:00(入館は4:30まで)
休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は、その翌日)、年末年始(12月29日~12月31日)※展示切り替えのため臨時休館する場合有り
公式サイト 成田空港 空と大地の歴史館

『空と大地の歴史館』は、成田空港が運営する資料館で、正式名称は「成田空港 空と大地の歴史館」です。

『空と大地の歴史館』は、航空科学博物館の敷地内、駐車場に隣接した場所にあります。駐車場も共用でき、開館時間や休館日などのは、基本的に航空科学博物館と同じです。

『空と大地の歴史館』へのアクセスは、航空科学博物館の記事を参考にしてください。

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『空と大地の歴史館』は成田空港問題の歴史を後世に伝える施設

『空と大地の歴史館』は、成田空港問題の歴史を後世に伝えるためにつくられた資料館で、2011年(平成23年)6月23日に開館しました。

『空と大地の歴史館』の公式サイトには、設立の目的が記載されています。

空と大地の歴史館は、成田空港と地域をめぐる歴史的経緯とともに当時そこに関わった様々な立場の人々の苦悩と想いを正確に後世に伝えるため、2011年6月23日に開館しました。(出典:空と大地の歴史館公式サイト「空と大地の歴史館とは」)

『空と大地の歴史館』設立の経緯

1990年(平成2年) 地域振興連絡協議会
1991年(平成3年) 成田空港問題シンポジウム
1993年(平成5年) 成田空港問題円卓会議
1995年(平成7年) 成田空港地域共生委員会
2009年(平成21年) 成田空港地域共生・共栄会議
2011年(平成23年) 『空と大地の歴史館』開館

『空と大地の歴史館』設立の背景には、成田空港問題を話し合いで解決しよう、という一連の動きがあります。

  • 1990年(平成2年)11月に熱田派青年行動隊員および千葉大学教授の村山元英氏らが中心となり、芝山町民有志の会「椎の木むら」を母体として「地域振興連絡協議会」(地連協)を設立。
  • 1991年(平成3年)11月から1993年(平成5年)5月まで、計15回にわたって「成田空港問題シンポジウム」が開催。
  • 1993年(平成5年)9月20日から1994年(平成6年)10月まで、計12回にわたって「成田空港問題円卓会議」が開催。
  • 「成田空港問題円卓会議」の最後に、「成田空港地域共生委員会」の設立が提唱され、1995年(平成7年)に同委員会が設立。
  • 「成田空港地域共生委員会」のなかで、資料の収集や聞き取り調査を行った「歴史伝承委員会」の事業を継承する目的で、『空と大地の歴史館』設立の動きが始まります。
  • 2009年(平成21年)に「成田空港地域共生委員会」は「成田空港地域共生・共栄会議」と名称変更。
  • 2011年(平成23年)6月23日、『空と大地の歴史館』が開館。

『空と大地の歴史館』は、成田空港問題をめぐる官民の協議体が母体となり、調査・収集してきた資料を、後世に伝えるための施設なんですね。

『空と大地の歴史館』は、あくまでも資料の展示館という位置づけなので、成田空港問題についての何らかの政治的な主張が発信されているというわけではありません。そこは安心して訪問して大丈夫です!

『空と大地の歴史館』を実際に訪問してみました

空と大地の歴史館、外観『空と大地の歴史館』は、航空科学博物館の駐車場に隣接しています。

『空と大地の歴史館』は、航空科学博物館の敷地内、具体的には駐車場と隣接した場所にあります。

『空と大地の歴史館』は1階建ての建物ですが、見通しが良いので、場所はすぐに把握できると思います。

『空と大地の歴史館』は1945年(昭和20年)~現在までの歴史資料を展示

『空と大地の歴史館』入口『空と大地の歴史館』の順路は時計回り。

『空と大地の歴史館』に入館すると、スリッパに履き替えるように促されます。

準備を済ませると、目の前には「館内のご案内」表示が。

『空と大地の歴史館』は、大きな一部屋に全展示物が置かれているので、位置関係に迷うことはありませんが、流れはここで把握しておきましょう。

『空と大地の歴史館』の館内図時計回りに、1945年(昭和20年)から現在までの歴史の流れを辿ります。

『空と大地の歴史館』1.どんなところへ

『空と大地の歴史館』の展示内容『空と大地の歴史館』の展示内容は、1945年(昭和20年)から始まります。

成田市の三里塚地区には、戦前から宮内庁下総御料牧場が広がっていて、皇室で用いられる農産物を生産していました。

戦後は、内地に復員してきた人々などにより、土地が開拓され開墾されていきました。ひと言でいうと、典型的な農村地帯だったんですね。

『空と大地の歴史館』の展示物、農耕器具開拓当時の農業器具。当時の開拓・開墾は多くが手作業だったんですね…。

『空と大地の歴史館』2.空港のはじまり

『空と大地の歴史館』の展示内容新空港問題の提起から、場所の決定までが示されます。

1961年(昭和36年)、当時の運輸省が羽田空港の処理能力の限界を見越して新空港の検討を開始…。ここから成田空港問題が始まるわけですね。

『空と大地の歴史館』の展示内容新空港の候補地は複数あったんですね。

当初は、新空港の建設候補地がいくつかあったことも示されています。

1963年(昭和38年)12月には、航空審議会で、成田空港の原案となった富里・八街案が有力との答申が示されます。

『空と大地の歴史館』展示内容新空港の建設地は、1966年(昭和41年)の閣議で決定。

1966年(昭和41年)7月4日、佐藤栄作内閣が、新東京国際空港の建設予定地を千葉県成田市三里塚地区の宮内庁下総御料牧場付近に閣議決定。

成田三里塚地区に新空港が建設される方針が正式に決定したわけです。当初の正式名称は、新東京国際空港だったんですよね…。

7月2日付で閣僚全員の花押が記された書類が資料として展示されています。

『空と大地の歴史館』の展示内容土地を失う農民もいるわけですよね…。初期の段階から反対運動があったことが示されています。
『空と大地の歴史館』の展示内容当時、実際に使われた旗などが展示されています。

『空と大地の歴史館』3.1970年前後の社会

『空と大地の歴史館』の展示内容当時のレコードなどが目を引きます。

成田空港問題が社会問題として深刻さを増していった、1970年前後の社会状況についての展示も行われています。

経済的には高度成長に邁進する一方で、ベトナム戦争の泥沼化など社会不安の高まりもあった複雑な世相を伺い知ることができます。

『空と大地の歴史館』4.流血の日々

『空と大地の歴史館』の展示内容成田空港問題は武力闘争に発展、当時の反対派が使用したものが数多く展示されています。

1968年(昭和43年)からの10年間、成田空港問題が武力闘争に発展していく時代についての展示です。おそらくここが、全展示内容の中でもクライマックス部分かと思います。

反対運動のヘルメット反対運動には多くの団体が参加していたことが良く分かる展示です。
『空と大地の歴史館』の展示内容空港絶対反対と書かれたヘルメット。
『空と大地の歴史館』の展示内容連絡用に使ったドラム缶。反対派はドラム缶を鳴らした音で連絡をとっていたんですね。
『空と大地の歴史館』の展示内容反対派が使用していた、寝袋、ランタンなどが展示されています。瓶は、火炎瓶でしょうか…。
『空と大地の歴史館』の展示内容過激化していく武力闘争の様子が伝わってきます。

『空と大地の歴史館』朝日のラウンジ

『空と大地の歴史館』の朝日のラウンジ資料閲覧・読書スペース兼、休憩スペースとなっています。

4番目までの展示が終わると、『朝日のラウンジ』というスペースが用意されています。

資料閲覧や読書などができるほか、休憩にも活用できます。ちょっと過激な展示が続きましたので、一休みするのも良いかも知れないですね。

『空と大地の歴史館』の展示内容これまでの資料が置いてあり、誰でも閲覧できるようになっています。

『空と大地の歴史館』5.成田開港

『空と大地の歴史館』の展示内容成田空港(新東京国際空港)が開港した当時の状況が展示されています。

1978年(昭和53年)5月20日に成田空港(新東京国際空港)が開港。紆余曲折を経て、何とか開港まで辿り着いたわけです。

成田空港が開港した当初は、反対派の動向などにも注意する非常に緊張する日々が続いた様子が展示されています。

『空と大地の歴史館』6.長く重い時間

『空と大地の歴史館』の展示内容成田空港開港後しばらく、国・公団側と反対派は膠着状態にあったんですね。

成田空港の開港により、「開港絶対阻止」をスローガンに活動を進めてきた反対運動は、目的を「空港廃港・二期工事阻止」に転換して行きます。

そのなかで、話し合いの状況も生まれてきたことが展示されています。

『空と大地の歴史館』の展示内容複数の事態の推移が、年表形式で分かりやすく示されています。

『空と大地の歴史館』7.シンポジウムと円卓会議

『空と大地の歴史館』の展示内容国・空港公団側と、反対同盟の話し合いの様子が映像でも紹介されています。

1991年(平成3年)からの「成田空港問題シンポジウム」、1993年(平成5年)からの「成田空港問題円卓会議」によって、国・空港公団側と反対同盟の話し合いが徐々に進展して行った様子が展示されています。

『空と大地の歴史館』8.地域にさす光

『空と大地の歴史館』の展示内容成田空港地域共生委員会の発足の様子が展示されています。

シンポジウムと円卓会議での話し合いを通じて、地域社会と空港が共に生きることを目指す「共生」という理念が生まれ、広がりを見せた様子が展示されています。

『空と大地の歴史館』9.成田空港の今・未来

『空と大地の歴史館』の展示内容成田空港の現在に焦点を当てた展示内容です。

成田空港が、地域との共生を進め、新しい時代に適応してく様子が展示されています。

『空と大地の歴史館』を実際に訪問してみて

『空と大地の歴史館』の展示物のなかでも印象的だったのは、出入り口の両脇に展示されている大きな航空写真です。Before/Afterの比較を見せてくれているんですね。

『空と大地の歴史館』の展示内容昭和44年12月4日の航空写真です。
『空と大地の歴史館』の展示内容平成28年1月13日撮影の航空写真です。

成田空港ができる前は、一面に農耕地が広がっていたことが分かります。

成田空港完成後は、当然ですけれど、巨大な国際空港が広がっていますね。

成田空港のA滑走路着工は、1969年(昭和44年)9月20日です。その後、反対運動の過激化など紆余曲折を経て、1978年(昭和53年)5月20日に成田空港(新東京国際空港)が開港。

僅か10年ほどでこれだけ環境が激変すると、地域に住む人々にも大きな影響を与えるんだなと…。改めて、より子はそんな感想を持ちました。

「シンポジウム」とか「円卓会議」とか、学生の頃に何となくニュースで聞いていたような気がするけれど、全然分かっていなかったんだなと反省…。

激しい対立から、空港と地域社会が共生する流れに変わっていく中で、関係者の話し合いが大きな意味を持っていたことも改めて知ることができました。

成田空港『空と大地の歴史館』で成田三里塚の歴史を顧みる【入場無料】まとめ

『空と大地の歴史館』訪問レポートはいかがでしたか?

今回紹介したこと
  • 『空と大地の歴史館』は、成田空港問題の歴史を後世に伝えるためにつくられた資料館です。
  • 『空と大地の歴史館』では、何らかの政治的な主張が発信されているというわけではありません。
  • 『空と大地の歴史館』は、航空科学博物館の敷地内にあります。
  • 『空と大地の歴史館』の入場料は無料、開館時間・休館日などは基本的に航空科学博物館と同じです。
  • 『空と大地の歴史館』は、じっくり見ても小一時間ほどで見て回れると思います。

『空と大地の歴史館』は、航空科学博物館と比べると、ぐっと小ぶりな建物になりますが、展示内容は濃厚な感じです…。

それでも、大き目の展示室ひと部屋に全てが収まっていますので、じっくり見ても小一時間もあれば見て回ることができると思いますよ!

現在の日本社会にも、大きな影響を与えた成田空港問題。

時には立ち止まって、顧みることも良いかも知れません♪

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